山下儀太郎の丸干 代々イワシ一筋の網元から転じた丸干職人の技。イワシのすべてを知り尽くした男の信念の味。
イワシは海の人参という。ここでいう人参とは漢方で滋養強壮の秘薬とされる朝鮮人参のこと。朝鮮人参は目の玉が飛び出るほど高価だが、イワシは安い。あまり安すぎるのでばかにされるが、実は「イワシ百尾頭の薬」。
イワシに多く含まれる核酸は、記憶物質の一つといわれるリボ核酸の合成を促進する重要な成分。
  近頃はやたらに甘塩アマジオと
  言うが、「きっちり昔道りに塩を
  きかせて堅く干し上げたのでな
  きゃ丸干しとはいえん」。これが
  主の信念である。
  塩加減の
妙で'自然の味'を凝縮
  させたその丸干は、噛めぱ噛む
  ほどうまさがにじみ出る。これを
  肴に飲むときは、とっておきの大
  吟醸でなければならぬ。
未明の牛深漁港。年間約五万トンの
水揚げの主役はイワシ。暗いうちか
ら続々と船が帰り、セリは6時に始ま
る。
またイワシにはチロシン(アミノ酸の一種)が多く、これは脳の中で神経伝達物質を増加させ、脳を活性化する働きがある。
せっぜとイワシを食べれば記憶カが高まり、頭の回転がよくなるわけだ。
イワシはマイワシ、カタクチイワシ、ウルメイワシの三種に大別され一番なじみが深いのはマイワシ。腹のやや上に七〜八個の黒い斑点があるところから「七つ星」ともいう。イワシ全体の九割を占め漁獲量は二百二十万トン(『農林水産統計』)。単にイワシといえばこれをさす。

左列から、マイワシ、カタクチイワシ、
ウルメイワシ。
ウルメイワシは他の
イワシと浜値で10倍も違う。
むろん
ウルメイワシが断然高い。
山下水産の三代目当主。山下儀太郎
と妻・君子
ウルメイワシは非常に少なくわずかに六万トン。
九千にして至高の美味とされ、飯のおかずにはもちろん、上等な酒の肴である。これはマイワシやカタクチイワシに比べて蛋白質が多く脂肪が少ないからである。 焙って頭から丸ごと食べるものだけに、丸干は素材のよさが命。築地にある問屋・海勢水産株式会社の津田透は「ウルメイワシの漁期は短い夏場の年一回だけ。それを一年間品質を損なわず保存するには細心の注意が必要」といい、「その点で牛深の山下水産の丸千なら信用できる。主がイワシー筋の頑固な職人だからね…」と太鼓判を押す。
塩をしたウルメを串刺しにするのは総員
30名の女性軍の手仕事。
対馬暖流と栄養豊富な内湾の潮流が
混合する牛深沖のうるめは天下一品。
漁期は夏場で旧盆の頃が最盛期だ。
 牛深は天草諸島の最南端にある漁港で古くから「イワシの町」として名高い。天草沖は対馬暖流と有明海、八代海の内の潮流が混じり合いプランクトンが豊富な海域で、しかもイワシの産卵海域になっている。ここでとれるイワシは東日本のイワシに比べて脂肪分が少ない。「牛深港は漁場がすぐ近くだから鮮度がよく、だからここの丸干は大下一品」と、熊本県水産研究センター利用加工部長・神戸和生は自慢する。
山下水産の主の名を山下儀大郎という。大正十二年の生まれ。先祖代々
イワシ専門の網元と加エの兼業だったが昭和四十七年加工一本にしぼり、以来丸干の鬼と化した。
小さいのは目刺しだが15センチ
級になるとアゴ刺しで、左手の
親指でエラを開けて刺す。
右手に長さ30センチほどの竹串
を3〜4本持ち、手慣れた早業で
一尾ずつ刺していく。